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Your search : [ author:北海道新聞記者 佐々木 学] Total 452 Search Results,Processed in 0.178 second(s)
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1. 莫言さんと旅した北海道の冬
「佐々木君、莫言さんをインタビューしたことあったよね。彼の北海道取材に同行しないか」北京の人民日報インターネット日本語部で派遣研修中の私の元へ、北海道新聞東京支社の国際部長から電話がかかってきたのは二〇〇四年十一月だった。私はすかさず「行きます」と答えた。中国から北海道への将来の観光客誘致を目指す札幌市が、中国映画『紅いコーリャン』の原作者として日本でも知られる作家の莫言さんを、中国の記者やカメラ
Author: 北海道新聞記者 佐々木 学 Year 2005 Issue 4 PDF HTML
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2. 晩の祈りと四書五経
一年間の中国滞在から帰国して一カ月が経った。一日、一日と、北京生活で身についた皮膚感覚や身のこなしが、夏の日焼けが消えるようにはがれていくのは寂しい限りだ。その半面、北京で暮らしたからこその、新しい出会いもある。最近、ある中国人の医師と食事をする機会があった。来日十数年になる彼女の歩みを振り返りながら、「中国の経済が急速に発展して、日本社会の中国に対する見方もだいぶ改善されたのでは?」と私は何の気
Author: 北海道新聞記者 佐藤千歳 Year 2006 Issue 12 PDF HTML
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3. 西チベットの処女峰 ナムナニに挑む中国合同登山隊
●巻頭グラフ参照ナムナニ峰(グルラ·マンダータ峰)は、西チベット·アリ高原にそびえる処女峰。標高七六九四メートル。聖湖·マパムユムツォ(マナサロワール湖)を見おろし、聖山·カンリンボチェ(カイラス山)を従えて立つ雄姿は、長く山男たちのあこがれの的だった。 今年四月、日本から二十四名の登山家を迎え、中日合同六十九名の登山隊が、五月すぎ、このナムナニ峰に挑む。 初の中日合同登山隊による初登頂成るか?
Author: 日中友好ナムナニ峰合同登山隊日本実行委員会代表 佐々木哲男 Year 1985 Issue 3 PDF HTML
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4. 手先にも二様の利用価値
本年二月、ベネズエラの大統領ベタンクールはアメリカへ五日間の訪問をおこなった。アメリカ大統領ケネディはもの乞いにやってきたこのベネズエラの大統領に下へもおかぬもてなしぶりをしめし、ベタンクールがベネズエラ人民の運命を「改善」するためにおこなった努力と「民主的指導」を実現するためにおこなった長期の闘争は、すでに彼をアメリカとアメリカの姉妹共和国が「いだく希望の象徴」たらしめていると持ち上げた。もちろ
Author: 学斎 Year 1963 Issue 7 PDF HTML
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5. 大平邸での楽しい一日
「しらかば、あおぞら、みなみかぜ……」中国でもよく知られている日本の歌「北国の春」、この歌が、東京世田谷区瀬田にある故大平元首相邸の庭園で「中日合唱」の声も高らかに歌われた。大平元首相夫人が中国人留学生を招いて開いたガーデン·パーティーでの一場面である。東京の秋は雨が多い。前日まではずっと雨や曇りだったのに、この日、一九八六年十月五日の日曜日は、なぜかうって変って絶好の秋晴れの好天に恵まれた。日差
Author: 上智大学留学生 呂学如 Year 1987 Issue 1 PDF HTML
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6. 昆明
「万紫千紅 花は謝(しば)まず、冬暖(ふゆあたた)かく夏涼(なつすず)しくて 四時春なり」といわれている昆明は、人びとが一度は行ってみたい、と思う都市である。今年の二月、私たちは同地を遊覧する機会にめぐまれた。飛行機は北京を離れて、西南に飛ぶ。機上からみる中国の広漠たる北方は、まだ一面の真冬の景色であった。飛ぶこと三時間、乗組員は昆明の上空についたことをアナウンスする。見下ろすと、青々とした滇池や
Author: 襲学孺 丁学仁 Year 1978 Issue 9 PDF HTML
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7. 新製品の続出する機械工業
昨年の十月、北京で開催中の全国工業交通展覧会を参観したわたしは、大ホールの一角におかれた四角な工作機械にすつかりこころをうばわれてしまつた。さきをいそぐ連れの催促に空返事をしながら、わたしは数年まえに聞いたエピソードを思い出していた。「菊型ギア」の話それは一九五一年の秋のことである。北京(ペイチン)自動車局の技師が学校を出たばかりの若い技術員をあつめて、手にした歯車をしめしながら、「どうだ、菊の花
Author: 周学声 Year 1959 Issue 6 PDF HTML
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8. 足取りで前進している
こんど中国代表団について東京を訪れ、全面的軍縮をめざす第六回原水爆禁止世界大会に出席したが、これはわたしにとつて、一九五四年の秋いらい、五回目の日本訪問である。こんどの訪日でえたもつともきわだつた、もつとも烈しく心に焼きつけられた印象は、一年有余の日米軍事同盟反対の大衆運動をへて、日本国民の闘争がすでに嵐のような、怒涛のような勢いをしめし、日本国民が大きな足取りで前進しているということだつた。中国
Author: 吳学文 Year 1960 Issue 11 PDF HTML
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9. 朝日があまねくアジアを照らすように
わたしは、この機会に尊敬する日本国民の代表にわたしの気持をおつたえ出来ることを、ひじようにうれしく思います。というのは、普通一般の方法でこの手紙を出しても、手紙をさしあげたいと思う日本国民の手にとどくとはかぎらないからです。科学·技術にたずさわるものとして、わたしは日本国民のおさめた成果に敬意をいだいております。もう二十五年もまえのことですが、わたしたちの国がまだ反動政府の支配下にあつて、人民が暮
Author: 錢学森 Year 1960 Issue 60 PDF HTML